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田所明神社について
田所明神社について
田所明神社は厳島遙拝所(国廳神社こくちょうじんじゃ槻瀬明神つきのせみょうじん)と大黒社を合祀ごうししたやしろです。
厳島神社神主家(佐伯氏)及び田所明神社の佐伯氏(田所氏)は安藝國第一の旧家で、その祖先は遠く、初代天皇 神武天皇の時代より、東征に尽力した天湯津彦命あまのゆつひこのみこととし、成務天皇の勅により、阿岐国造を賜った、飽速玉命あきはやたまのみこととされます。厳島神社、埃宮・多家神社、速谷神社の「安芸国三社」とも深いつながりのある田所明神社です。
※『先代旧事本紀』「現代語訳」巻十国造本紀によると『国造氏族は佐伯氏と伝えられ、厳島神社の神主となって以来、代々世襲してきた。田所明神社の田所氏も国造佐伯氏の後裔とされる。』詳しくはこの後の「田所明神社について」をご一読ください。
天湯津彦命と安藝国府の歴史(論文)
安芸の国の歴史と伝統文化を伝える会 会長 
田所明神社 宮司・田所 恒之輔
→約8.7MB/PDFダウンロードDownload

○ 広島市佐伯区ホームページ まちづくり
小説「佐伯景弘」にまつわる歴史紹介
https://www.city.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/125122.pdf
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安芸の国の歴史と伝統文化を伝える会 会長
田所明神社 宮司・田所 恒之輔
の論文がアップロードされています。ご清覧下さい。

UEJジャーナル第14号(2014年9月号)
「地域の歴史と文化の学習 ─ 古代・中世における安芸国の土地をめぐる紛争 ─ 」
https://www.uejp.jp/pdf/journal/14/22_tadokoro2.pdf
→約1.1MB/PDFダウンロードDownload

田所明神社 宮司・田所 恒之輔による安積国造神社 講演 の模様です。
このほかの動画はこちらのチャンネルをご覧ください。
田所明神社
アンダーバーの文字はクリックすると意味がわかるようになっています。
安芸国庁屋敷こくちょうやしき厳島国府上卿屋敷いつくしまこふしょうけいやしき鎮座
田所明神社[ 厳島遙拝所いつくしまようはいじょ国庁神社こくちょうじんしゃ槻瀬明神つきのせみょうじん)・大黒社三社を合祀ごうし]略記
国立公文書館内閣文庫『楓軒文書纂ふうけんもんじょさん』安芸厳島神社定勅使祭主ていちょくしさいしゅ田所元教主税家文書所収
国立公文書館内閣文庫『楓軒文書纂ふうけんもんじょさん』安芸厳島神社定勅使祭主ていちょくしさいしゅ田所元俊伊織家文書所収
広島県重要文化財紙本墨書田所文書
安芸国衙領注進状あきこくがりょうちゅうしんじょう一巻(縦28㌢・横14㍍)・沙弥譲状しゃみゆずりじょう一巻(縦28㌢・横12㍍)]所蔵
御神水・田所名水
(旧厚生省の「おいしい水の要件」と広島県環境保健協会の一般項目検査に適合。県内唯一の銘水。)
主祭神 飽速玉命あきはやたまのみこと 相殿 天湯津彦命あまのゆつひこのみこと安芸津彦命あきつひこのみこと安芸都彦命あきつひこのみこと
槻瀬明神つきのせみょうじん(宮内庁書陵部蔵「安芸国神名帳」には正二位五前の位階)
阿岐国造あきこくそうけと伝えられる厳島神社神主家いつくしまじんじゃかんぬしけ(佐伯氏)及び田所氏(佐伯氏)は、阿岐国第一の旧家である。其の祖先は遠く天湯津彦命あまのゆつひこのみこと安芸津彦命あきつひこのみこと安芸都彦命あきつひこのみこと)(多家神社たけじんじゃ埃宮えのみやの主祭神・安芸国の開祖神)及びその五世の孫阿岐国造あきのみやつこ飽速玉命あきはやたまのみこと(速谷神社の主祭神飽速玉男命あきはやたまのみこと)と伝えられる。東広島市西条の三ッ城古墳は国造氏族こくぞうしぞくの墓とされる。大化の改新以後、国造くにのみやつこはいせられ、佐伯氏(田所氏)は佐伯郡の大領として譜代の郡司を世襲した。佐伯氏(田所氏)は、今の広島市佐伯区三宅町の田所屋敷に住み佐伯姓を名のった。後に府中に出て、有力在庁官人[惣大判官代・大椽職だいじょうしき等]となる。一族は厳島神社神主いつくしまじんじゃかんぬしにもなっている。
『田所累系』によると田所氏は「佐伯」を本姓とし、姓を佐伯の他、平、三宅、田所、藤原、源とも称した。うじ大化の改新以前の制度や平安期の職名から田所氏とした。現在まで、本姓は旧来の佐伯を踏襲しつつ、氏は田所を踏襲している。佐伯(田所)資隆は平安時代の初め頃(900±年)、今の広島市佐伯区三宅町の田所屋敷から国府府中の国庁屋敷に赴任した。以後国府の有力在庁官人として世襲した。田所氏が世襲した主な職名は、佐西四度使ささいよどのつかい・安芸国執事職・三善みよし(荘園を経営する役職名)・大帳所惣大判官代・田所執事兄部このこうべしき・田所文書執行職・田所惣大判官代田所兄部職・田所惣大判官代田所執事職・田所惣大判官田所書生職・田所惣大判官代・田所文書職。治承3年(1179)以降、安芸国の国祭である初申神事はつさるしんじにおいて、当初京都より勅使ちょくしが遣わされた。『田所累系』によると田所信高は建武2年(1335)、父田所信兼より田所惣判官代新左衛門尉平朝臣に任ぜられた。
『広島県史』古代中世資料編Ⅳ藤田精一氏旧蔵文書(261頁)常陸親王令旨寫によると
安芸国河戸村國衙分一分二分任先例可領知旨、常陸親王ヨリ令旨頂載、永和五年(1379)2月25日、厳島社御勅使装束破損ニ付
料足当国入りょうそくりょうとして野郷一町之内いっちょうのうち三段、黒瀬村二段、以上五段拝受之免状アリ
以上により、厳島神社両度初申之御神事奉幣使祭主兼務。
田所惣大判官代新左衛門尉兼奉幣使ほうへいし田所資賢たどころすけかたの七男・石井七郎末忠いしいしちろうすえただ公は、後醍醐天皇より綸旨りんじたまわり、建武の新政を成す。延元元年(1336年)湊川みなとがわの戦いで楠正成くすのきまさしげ公とともに石井七郎末忠いしいしちろうすえただ公は忠死された。
貞治じょうじ5年、有力在庁官人の父信高のぶたかより田所惣代判官代太郎左右衛門尉たどころそうだいはんがんだいたろうさえもんのじょうを譲り受け、『田所累系』によると
至徳2年(1385)十月朔日、厳島上卿役さだめらるしょうけいやくに御証文拝載ス、御装束モ拝載ス。
正三位上安芸国厳島神社初申御神事はつさるのみしんじ上卿役定勅使祭主ていちょくしさいしゅ兼府中村南松崎八幡別宮 北 惣社も厳島と同様定勅使祭主ていちょくしさいしゅを明治5年(1872)まで世襲した。
田所明神社は、最後の正三位上厳島神社両度初申はつさるの御神事定勅使国府上卿役こふしょうけいやく祭主でのちの多家神社社司(宮司)田所元善(竹槌たけづち)により、大正5 年(1916)11 月、厳島遙拝所いつくしまようはいじょ「国庁神社・槻瀬明神つきのせみょうじん」と大黒社の三社の御祭神を合祀ごうしされ、厳島国府上卿屋敷いつくしまこふしょうけいやしきに、田所明神社として再建された。
大正8年(1919)秋、石井七郎末忠公は大正天皇より正五位を追贈ついぞうされ、有志により、石井城址顕彰碑が建立された。
さらに、田所明神社は平成10年(1998)10月厳島国府上卿屋敷いつくしまこふしょうけいやしきの現在地に宮司田所恒之輔が自主再建した。宗教法人ではない単立神社である。
国庁屋敷・厳島国府上卿屋敷・田所明神社・阿岐国造家
名 称国庁屋敷・厳島国府上卿屋敷・田所明神社・阿岐国造家
所在地〒735-0007 広島県安芸郡府中町石井城1-6-16
電話番号082-285-8514
e-mailinfo@tadokorojinja.jp
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その他御神水・田所名水をお求めの方は不在のこともございますので、お電話(082-285-8514)でご予約の上お越しください。駐車場もございます。
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